軽井沢の景観保全を
3人の外国人宣教師が別荘地軽井沢の形成に大きくかかわったと言われています。アレキサンダー・クロフト・ショーが先ず、軽井沢の避暑地としての魅力を発見して世に広め、ダニエル・ノーマンが軽井沢避暑団を導いて、別荘地の在り方、グランドデザインを示しました。ウイリアム・メレル・ヴォーリズは軽井沢に建設事務所を開き、多くの建物を建てました。軽井沢倶楽部のテニスコートのクラブハウスや集会場(オーディトリアム)やユニオンチャーチなど人々が集う場を造りました。スポーツやコンサートなどの催しを通して、日本人も外国人も分け隔てなく交流し、自然の中でゆったりとした時間を過ごす別荘文化が育まれました。またメレル・ヴォーリズは多くの別荘を建てています。それらは比較的簡素なバンガローですが、環境を配慮した工夫がなされていて、建築から一世紀を経た今でも大切に使われているものが多く見られます。
軽井沢の平地はもともと湿原で、樹木はあまり生えていなかったのですが、別荘地の造成にあたりカラ松や樅の植林を行い、それが今では美しい林となって、人々に涼しく爽やかな木陰を提供しています。林の中に別荘が点在する軽井沢独自の景観は、多くの人々の努力によって形成され、守られてきました。
この軽井沢の美しい景観が、大きなホテルやマンションの建設によって損なわれる危機に瀕しています。軽井沢をこよなく愛する私たちは、軽井沢の環境と景観を守る必要があります。

旧軽井沢のホテル建設計画の中止を
軽井沢倶楽部のテニスコートにほど近い旧軽井沢の本通り、いわゆる軽井沢銀座の町並みは、かつての宿場町が避暑地へと変貌していった歴史的推移を色濃くとどめています。碓氷峠を越えてきた旅人たちは宿場の入り口に立った時、大きな安らぎを覚えたことでしょう。その憩いの場が避暑地として受け継がれていきました。
旧軽井沢は近代日本の別荘地発祥の地であり、軽井沢に魅せられた人々がここにやってきました。中でも江戸時代から続く旅館つるやは明治以降、多くの作家や文人の定宿となり、建物は何度か改築されましたが、宿場町以来の歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気を保っています。つるやに連なる商店や観光客相手の店屋も歴史的景観を損なわないよう、様々な配慮、工夫をして旧軽井沢独特の景観を保っています。軽井沢の魅力はこうした人々の努力によって生み出されてきたものと思います。
しかし今、つるやの真向かい、軽井沢本通りに面して長さ74m・4建ての巨大ホテルの建設計画が進んでいます。デザインはどこの都市にもありそうなコンクリート建築で、歴史的な趣のある周辺の町並みとは全くそぐわない、景観を完全に破壊する建て物で、軽井沢町の条例で定めた景観ガイドラインから大きく逸脱したものです。実現すれば、ただでさえ狭い旧軽井沢周辺の道路に大渋滞をもたらし、火災や災害時の対応にも大きな障害になります。
当然、計画地周辺の住民は反対し、別荘者の団体の「旧軽井沢の歴史と景観を守る会」とともに建設計画を進める東急不動産に対して、建設規模の大幅縮小を求めています。

